明訓について
《明訓の歴史》
「明訓」の歴史は、大正十年(1921年)向学の念に燃えた勤労青年が、中学校(旧制)程度の学力を身につけたいと、働きながら学んだ新潟夜間中学講習会に始まります。この講習会は、好学の志を持った勤労青年たちが、自ら小学校の校舎を借り、自分たちで先生をお願いして始めたものです。このように、学校の創設も、その経営に当たったのも学ぶ生徒達自身でした。本校の建学の精神「好学・自治」は、ここに始まりました。

校名の「明訓」は、明治十五年に勤皇の志士大橋一蔵先生が弥彦の地に創設された「明訓塾」の名称に由来します。本校は、この精神とともに校名を引き継がせていただきました。
「明訓塾」では、西欧化一辺倒の文明開化の時流に流されることなく、我が国古来の伝統に立脚した独自の文化を築くことのできる人材の育成が目標でした。「明訓」の名は、明治十四年の国会開設の勅論にある「宜しく今に及んで

爾来九十余年、生徒自身が作った学校という建学の精神を柱に、「好学・自治・協力・質実・奉仕」の校訓のもと、三万余名の卒業生を送り出し、本県の中等教育において確たる役割を果たしてきました。
「明訓」は、平成十六年、手狭だった川岸町から、ここ亀田の地に移転しました。移転に当たって、亀田駅東口から至近距離の八万平方メートルの校地に、近代的な校舎を建設しました。新校舎は、音楽ホール、講堂、個別化した図書閲覧室、全面人工芝のグランド、野球場、テニス コート、弓道場など、学ぶための設備が充実しており、中学、高校合わせて千五百人を超える生徒達が、勉強はもちろん、スポーツや文化活動に取り組み、成果を上げています。
平成19年には、新潟明訓中学校を開校し、併設型の中高一貫教育を開始。卒業生からは、東大や医学部医学科など、難関大学へ進む者が増えています。
中高一貫生も含め、進学実績は県内トップクラスの実績をあげています。
本校のもう一つの特徴は、活発な部活動です。高校では、特に力を入れているⅢ類指定の野球・陸上競技・サッカー・剣道(男子)は、新潟県をリードする存在として、全国でも活躍しています。
他の運動部や文化部には、多くの生徒が参加し、明訓祭や体育祭など多彩な学校行事で活躍するとともに、全国大会で活躍するなど、活気ある学校生活を楽しんでいる姿が見られます。

《これからの明訓》
二十一世紀を迎え、我が国では、学校教育の見直しが進められており、新たな教育の創造が求められています。本校では「グローバルに生きる~明訓は、新潟から世界へ~」をスクールスローガンとして掲げて教育活動に当たっています。これは、校訓にある「奉仕」、つまり、世界に貢献できる人材を育成しようとするものです。
そのためには、まず足下の郷土・新潟を理解し、日本の文化を学んで自らのアイデンティティーを確立し、しっかりとした新潟人・日本人となることが必要です。学校田での稲作体験、弥彦山・大蔵山登山、雪国体験、国内学芸研修などの体験が、生徒を鍛えてくれていると思います。
このような土台の上に、MeGA(Meikun Global Activity)を通じて、答えを自分で見つけていくという、グローバル時代を生き抜く力を身につけていきます。大学に合格して満足する「大学までの生徒」ではなく、社会に貢献する有為な人材をめざす「大学からの生徒」を育てていくことが明訓の責務であると考えています。

グローバルな視点から郷土と日本の社会を考え、国際社会の中で競い合うことのできる若者を育てるのが本校100年の目標です。